2009年1月1日木曜日

天神さんへの初詣

大阪天満宮への初詣、参詣者数ベスト10には入らないようですがとにかくすごい人です。
1月1日午前0時を待って門の前に長蛇の列が出来ます。
開門してからも一度に入れないので適宜区切って入場します。
寒いときに待つのがいやなので午後3時過ぎに行けば空いているかと思ったのは間違いでした。
写真のように行列で入場制限をしていました。
そこで初詣は明日に延期し天神橋筋商店街の見学をしてきました。


入場を待つ人





いい年になりますように丑さんにお願いを!


天満宮宮司さんの一文字です。「変」から早く「輝」く年にして欲しいですね



商店街を埋め尽くす参詣者


謹賀新年




2008年12月31日水曜日

第9の続き

昨日のブログで今年はおしまいと書きましたが、

演奏会に行ってあまりの感激に続編を。

満員(2700名)の観客で埋め尽くされたホール、
今日で最後とコンサート開始前にホール内の写真
を撮る人が多く見受けられた。


午後7時予定通りに演奏会は始まった。
毎年聴く第9も今日は皆特別の面持ちで感慨深げに見える。
今日が最後のフェスティバルホールでの演奏ということもあってか、
演奏者も聴衆もいつもとは違う何かが感じられた。

もしかしたらホール自体も感激していたのかもしれない。






演奏が終了してからのスタンディングオベーションは果てしなく続いた。
ドイツから招いた4人の独唱者も舞台に出たり入ったりと
大植音楽監督と共に忙しく動いていた。



どれくらい時が過ぎただろうか、大植氏が一人出てきてマイクを持ち
挨拶が始まった。
フェステイバルホールが出来て以来今日まで50年間に演奏した著名
な音楽家の紹介、何よりもホールで最初に演奏したのが朝比奈隆率
いる大阪フィルだったそうだ。

その時に演奏した曲の一つにエルガーの威風堂々があり、
それをアンコールとして演奏された。


演奏終了後再び拍手の嵐は止むことがなく退席する人もいません。
そのうち会場の照明が徐々に暗くなり、どこからともなく「蛍の光」
が聞こえてた。
すばらしい声でびっくり。
それは大阪フィル合唱団の面々がホールの各通路に出てきて
歩きながら歌っていたのです。
蛍の光が終わりもう一度大きな拍手でコンサートは終了。


それぞれが関わったこのホールの思い出を胸に秘めながら
皆満足した面持ちで寒風吹きすさむ夜の街へと出て行きました。

今年一年色々と社会不安な出来事があったが、今日ここへ来た人は
それらを帳消しにするくらいの感動を得たことだろう。









このコンサートに関する記事は朝日新聞に掲載されています。

以下のURLをクリックしてご覧ください。



http://www.asahi.com/culture/update/1230/OSK200812300027.html





それでは今度こそおしまい!



どうぞ良いお年を!!

2008年12月30日火曜日

今宵は第九で一日早い年納め

フェスティバルホールが出来て50年が経過した。

戦後の繁栄期をじっと見守ってきた建物が静に消えていく。

フェスティバルホールが完成したのは1958年、

奇しくもこの年に筆者はフェスティバルホールへ行ってたのである。

記憶をたどればここでダイハツが初めて小型三輪車「ミゼット」の

発売を記念して社員の慰安会をここフェスティバルホールで開催

し紹介されたのであった。

今でも脳裏に焼き付いているが、舞台上手から楠トシエが運転する

「ミゼット」が現れたとき会場から盛大な拍手が湧いた。

筆者が小学6年生の時である。

それから幾星霜、このホールは世界のエンターテイメントを紹介してきた。

それが今日の公演を最後に取り壊される。


ここでコンサートを始めいろいろなエンターテイメントを楽しんだ人は


はかりしれないが、よく利用していた人にとっては寂しい限りである。

取り壊される前に最後の雄姿をカメラに納めた。


















最後の公演が昨日と今日の2日間大阪フィルハーモニー交響楽団

大植英次指揮の第九が演奏される。

今宵は第九に酔いしれながら心身共に今年1年の悪しきことを

洗い流したい。


フェスティバルホールは2013年にこのように

生まれ変わる予定である。




今年のブログはこれでおしまい。
来年もどうぞ宜しくお願いモーします。

皆さん!輝かしい新年をお迎えください。





2008年12月28日日曜日

鴉宮神社

年末の墓参りにお寺まで行くのにいつもとは違うルートで行って

発見した神社、場所は阪神電車西大阪線の伝法駅から徒歩10分

西九条から来ると千鳥橋の商店街を通り抜け正蓮寺川の橋を渡って

直ぐの所にある。






一般にカラスは忌み嫌われることが多いが、

ここの神社は鴉宮と呼ばれている。

その由緒はインターネットで調べた資料を抜粋すれば

以下のようである。

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地域に残る古い伝記から

第八十四代順徳天皇の御代、建保三年(1215年)4月、村と港の繁栄を記念し、
 
伝法村の中心に傳母頭神社として後鎮座されたが、文禄元年(1592年)二月

豊臣秀吉瀬戸内より日本海へ渡航に際しご神前に祈祷せしこと御社殿奥の森より

三足の鴉が出現、渡海の安全守護他瑞兆を示さんとの神告があり、お告げ通り

無事平安に帰国を果たした。

秀吉この事大いに感謝し神社名を以降「鴉宮」に改めよと命名、自ら鴉の巣を成

している所、すなわち森地に御遷宮したと伝わっている。


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社殿




船の舳先が社殿から突き出ているところはこの神社の由緒通り航行の

安全を見守ってくださる神様ということが分かる。




社殿の彫刻にも三足鴉が彫られている。




写真をクリックして拡大してください。

三本足の鴉ということがよく分かります。