2010年6月4日金曜日

大阪市公館一般公開

恒例の大阪市公館一般公開、といっても事前に申し込み
抽選で入場者は決定される。昨年に続き今年も当選したので見に行った。
1959年に迎賓館として建造された公館、50年を経過して敷地周辺の
樹木は立派に育ち森になっている。
今日は天気が良すぎてトップライトの状況下、写真撮影には条件が悪かった。


遠くに見える建物は茶室(二水亭)

菖蒲が満開


蕾の上に赤とんぼ


色とりどりの菖蒲


四阿から見た庭園














2010年6月2日水曜日

亀岡 金剛寺

穴太寺から徒歩10分ほどのところにある金剛寺、
円山応挙が幼少時過ごしたお寺で応挙寺とも呼ばれている。
9歳の時に入門するが盤山和尚により才能を見いだされ
京都の都に出る。晩年に書かれた襖絵(重文・未公開)が
保存されている。











山門が鐘楼も兼ねている




寺の周辺にはこのような住宅が点在している



2010年6月1日火曜日

亀山城下町巡り

JR亀岡駅から徒歩10分程のところに亀山城址があります。
ここは1577~1579年にかけて明智光秀が築城し
そのご豊臣秀吉の配下、さらには岡部永盛の手で完成した城です。
しかし明治11年の廃城令により取り壊されてしまいました。
荒廃していた跡地を大正8年「大本教」という教団が買い取り
現在に至っています。
今は「大本教」の教団本部として見事に手入れされた森になっています。
教団の建物には入れませんが鬱蒼と繁った森の中を散歩
するのは自由に出来ます。





教団の森の中に咲いていた花


その教壇本部から少し離れたところにかっての城下町の面影を残した町が
再生されています。周辺の道路も整備され、古い家々は手入れをして綺麗に
なっています。しかし、残念なことに電柱、電線さらには各家々に付けられた
エアコンがすっかり雰囲気を壊していてるように感じました。先日行った近江
八幡の町並みは細部に気配りした再生がされていたのと大きな違いです。















造り酒屋です













これは醤油屋さんです


お寺もたくさんあります


門前の石仏




別の寺にはこのような戒めが貼ってありました。
某国の総理大臣に読ませたいなと思いませんか・・・


亀岡駅の裏側にはこのような田園風景が広がっていました




城下町の見学を終えて帰路に


2010年5月30日日曜日

西国21番札所 穴太寺

JR亀岡駅から約4Kmのところにある穴太寺
宝徳2年(1450年)成立の『穴太寺観音縁起』によれば、
慶雲2年(705年)、文武天皇の勅願により大伴古麻呂が
開創したとされる。


穴太寺の聖観音像は「身代わり観音」の伝説で知られ、
この伝説が『今昔物語集』に取り上げられていることから、
平安時代末期には観音霊場として当寺が知られていた
ことがわかる。
『今昔物語集』所収の説話によると、昔、丹波国桑田郡の
郡司をしていた男は、都の仏師に依頼して聖観音像を造り、
仏師には褒美として自分の大切にしていた名馬を与えた。
しかし、与えた名馬が惜しくなった男は、家来に命じて仏師
を弓矢で射て殺してしまった。ところが、後で確認すると仏師
は健在で、観音像の胸に矢が刺さっていた。改心した男は
仏道を信じるようになったという。同様の説話は『扶桑略記』
にもあるが、ここでは男の名が「宇治宮成」、
仏師の名が「感世」とされている。
(Wikipediaより)

2008/4に完成した亀岡駅



循環バスに乗って約20分、穴太寺前に到着



江戸時代中期に再建された仁王像




仁王門から右側へ白壁に沿って歩き境内を
見ると威風堂々とした本堂の屋根が見える




お寺の右側の塀



塀に沿って進とここにも門があり境内に入れる




仁王門を潜って正面に本堂がある


本堂に上がるとガラス格子の向こうに祭壇が見える


本堂正面を横から見たところ



本堂大屋根の庇






本堂右横



庫裡から本堂につながる渡り廊下


渡り廊下内部を本堂側から見たところ

本堂内部は撮影禁止につき写真は無し


本堂内部から境内を見たところ
参拝者が手を合わせているのが見える


本堂回廊から多宝塔を眺める


渡り廊下から多宝塔を見る


庫裡の土間から庭を望む
板戸にガラスをはめ込んだところからも庭が見える


上がり框から衝立の絵を見る


部屋のふすま絵


座敷から見る庭園








縁側に出て築山を見る