天正8年から10年までのわずか2年間の城主であった
明治時代のはじめに廃城令で取り壊され、 石垣と銅門
番所だけが残されていた。
その後市民運動により3層4階の天守閣が 昭和61年11月に再建され
現在に至っている
天守閣への路
全景
鯱
天守閣に登ると福知山の市街が一望できる
天守閣内には歴史的な展示物があるが撮影禁止
天守閣内から格子を通して街を見る
天守閣の石積みは穴太積(あのうづみ)と呼ばれる
積み方で約400年の歳月を耐えています
転用石
福知山城の石垣には、自然石と割石に混じって
五輪塔・宝篋印塔などの石塔類が大量に使用されています
もともと供養塔等、他の目的で作製された石造品が
石垣等に利用されたものを「転用石(てんようせき)」といいます
堀に架かる橋は福知山城公園から本丸へと至る昇龍橋
太陽が西に傾いてくると「狭間」の形が浮かび上がる
ひとつには内側から侵入者を見張るため、もうひとつには
ひとつには内側から侵入者を見張るため、もうひとつには
その侵入者を攻撃するためのものです
△の穴は鉄砲用に、□の狭間は弓用に設けられていたものです
△の穴は鉄砲用に、□の狭間は弓用に設けられていたものです