2013年7月2日火曜日

7/2は半夏生

半夏生(はんげしょう)は半夏という薬草が生えるころ(ハンゲショウ(カタシログサ)という草の葉が名前の通り半分白くなって化粧しているようになるころとも)
七十二候の1つ「半夏生」(はんげしょうず)から作られた暦日で、かつては夏至から数えて11日目としていたが、現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっている
毎年7月2日頃にあたる
農家にとっては大事な節目の日で、この日までに農作業を終え、この日から5日間は休みとする地方もある。この日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防いだり、この日に採った野菜は食べてはいけないとされたりした
また三重県熊野地方志摩地方の沿岸部などでは、ハンゲという妖怪が徘徊するとされ、この時期に農作業を行うことに対する戒めともなっている
奈良県の一部の地域(香芝市周辺)では、「はげっしょ」と言い、農家の人たちは玄米の餅を作り食べ(以上WIKIPEDIAより)

半夏生の群生


 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 



2013年7月1日月曜日

大原の里 宝泉院


 


過去に数度三千院には来ているが
宝泉院へ来るのは初めてであった
山門で拝観手続きを済ませ
建物の中に入るや否や素晴らしい風景が
目に飛び込んできた


 
山門
 

入り口の庇の下にはこのような彫り物が
これも欄間と言うのだろうか?
 

土間に入ったところから山門からの通路を見る
 
 

鶴亀庭園に咲いていた沙羅の花
 
 

縁側で見る庭園は新緑で輝いていた
 

額縁庭園
 

 
額縁を外して(?)見る庭園

 
 

書院から庭を見る
 

 
血天井
慶長5年関ヶ原の合戦前、徳川の忠臣鳥居元忠以下
数百名が豊臣の大軍と戦い伏見城中で自刃した
その武将達の霊を慰め、供養のために自刃した場所のものを
天井にして祀ったものである
写真中央付近に人の顔が見える

 
 

額縁庭園は2面あり両方見えるところではこのように見える
 

樹齢600年の五葉の松の幹

 
 
パノラマ写真


 
 

三千院ではないけれど
昔流行した♪おんな一人♪ を彷彿させる写真だ
 

 
 
五葉の松、見る角度で様々な形を見せる
 

 
 

 
 

 
 

 
 


 
以下は宝楽園

 
 

 
 



2013年6月30日日曜日

京都大原 三千院から宝泉院へ

三千院を後にして宝泉院へと向かう
途中実光院・勝林院の門前を通り
宝泉院へ

三千院の境内を流れていた律川に架かる橋を渡り
 
 
だらだらとした石段を下りていくと
 

やがて左側に実光院がある
門前で写真を撮影し更に進むと
 

突き当たりにあるのが勝林院
ここでも写真撮影をして目的の宝泉院へ 


勝林院を左に折れると橋が見える
この橋を渡って直進すると突き当たりが目的のお寺だ
 

入り口前にあった石仏
時節柄紫陽花が挿してあった

2013年6月29日土曜日

京都大原三千院

梅雨の豪雨が上がった日、およそ30年ぶりに
京都大原三千院を訪れた
行こうと企画した直後に門跡が他界され
拝観が中止になっていたが、再開されたのに
合わせたように天候が回復
時折太陽が顔を覗かせるが曇り空で紫陽花の
鑑賞には最適と、勇んで出かけたが
連日の雨に打たれて花はだらりと首を落とし
まるで門跡の喪に服しているようであった

御殿門を入って受付をすませ客殿・円融房・
宸殿と掛け軸・絵などを見ながら庭へと降りる
 

室内は撮影禁止で窓から外を撮影
 

 
 

滴り落ちる水野波紋が広がっていく様子が見える
(写真の上でマウスをクリックすると拡大して見られます
元に戻すのにはESCキーを押してください)
 

渡り廊下の屋根を覆う新緑の影
 

有清園の苔の緑、モミジの緑のコンビネーションが絶妙
 

奥の建物は往生極楽院
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 




 
 

 
聚碧園の苔

 
 

わらべ地蔵
 

往生極楽院の正面側
 

連日の雨に打たれて紫陽花もお疲れ
ベンチで一休みです

 
 

経大を流れる律川
 

売炭翁石仏
 

 
紫陽花苑で唯一元気そうに見えた場所

 

弁財天
 

竹と紅葉の新緑
 

 
 

独り占め 


 
 

客殿への廊下を外から見たところ