宝徳2年(1450年)成立の『穴太寺観音縁起』によれば、
慶雲2年(705年)、文武天皇の勅願により大伴古麻呂が
開創したとされる。
穴太寺の聖観音像は「身代わり観音」の伝説で知られ、
この伝説が『今昔物語集』に取り上げられていることから、
平安時代末期には観音霊場として当寺が知られていた
ことがわかる。
『今昔物語集』所収の説話によると、昔、丹波国桑田郡の
郡司をしていた男は、都の仏師に依頼して聖観音像を造り、
仏師には褒美として自分の大切にしていた名馬を与えた。
しかし、与えた名馬が惜しくなった男は、家来に命じて仏師
を弓矢で射て殺してしまった。ところが、後で確認すると仏師
は健在で、観音像の胸に矢が刺さっていた。改心した男は
仏道を信じるようになったという。同様の説話は『扶桑略記』
にもあるが、ここでは男の名が「宇治宮成」、
仏師の名が「感世」とされている。
(Wikipediaより)
2008/4に完成した亀岡駅
循環バスに乗って約20分、穴太寺前に到着
江戸時代中期に再建された仁王像
仁王門から右側へ白壁に沿って歩き境内を
見ると威風堂々とした本堂の屋根が見える
お寺の右側の塀
塀に沿って進とここにも門があり境内に入れる
仁王門を潜って正面に本堂がある
本堂に上がるとガラス格子の向こうに祭壇が見える
本堂正面を横から見たところ
本堂大屋根の庇
本堂右横
庫裡から本堂につながる渡り廊下
渡り廊下内部を本堂側から見たところ
本堂内部は撮影禁止につき写真は無し
本堂内部から境内を見たところ
参拝者が手を合わせているのが見える
本堂回廊から多宝塔を眺める
渡り廊下から多宝塔を見る
庫裡の土間から庭を望む
板戸にガラスをはめ込んだところからも庭が見える
上がり框から衝立の絵を見る
部屋のふすま絵
座敷から見る庭園
縁側に出て築山を見る
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