T字路になりこのような標識が目に入ってくる
上賀茂神社の方向に進路をとりしばらくすると
竹で造られた長い塀が目に入る
片側は山、反対側は竹林、昼間と言えども人通りもなく
この時期の散策にはうってつけである
歌人ならば一句浮かんで来るのだろうが
鈍才の筆者にはその素養がない
しかし、風にゆられてハラハラと舞う竹の葉、
時折聞こえるメジロの囀り
空を見上げれば雲一つない快晴
自然のありがたさがしみじみと感じられる
歩いていくと竹塀に飛騨高史家の看板
江戸時代末期の建造物で、元々飛騨高山にあった庄屋屋敷
総坪数150坪、欅の一枚板を使った玄関等、ふんだんに木材
の使われた飛騨高山ならではの 建築物だそうだ
50名までの宴会・会議等に使われているそうだ
高史家から更に歩いていくと翠風閣なる建物があった
孝明・明治両帝の御殿医、福井貞憲が明治13年に
建造した数寄屋風講堂造りの茶室茶室だそうだ
手すきガラスの窓、屋久杉を天井に使用した 内装、
青銅の鳳凰を冠した屋根等、気品と風格を備えた茶室
京都・小松原より昭和45年に移築された
ここより遥か京都市内が一望でき、真南に京都タワー、
東に大文字、西に衣笠山が望めるそうだ
表札には大田山荘
緑の新芽に混じってモミジの赤い葉、正に紅一点だ
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