運動が起こり明治29年より工事が開始された。
それまでは現在の大川が淀川として海に注いでいた。
しかし、度重なる水害から守るための方法として
毛馬から現在の淀川へと水流を変える大工事が提案された。
この工事を完成させるために陣頭指揮をとってきたのが
大橋房太郎という人物だ。
途中日露戦争で工事が中断された時期もあったが
完成したのは明治42年。
この人の生涯については「淀川の治水翁」という本に
詳しく書かれている。
この本を読み改めて毛馬閘門を見学してきた。
毛馬閘門周辺の河川敷公園
堤防の桜の葉が紅葉し始めています
明治42年に完成した閘門を原型のまま保存されている
堤防にたつ標識
現在は使用されていない閘門
現役の閘門の向こうに大川の流れが見える
淀川と河川敷公園
遠くの高いビルは十三方面
淀川の放水量調整はここでしている
手前に流れてくる川が閘門を通って大川へ流れる
与謝野蕪村生誕地の碑
蕪村は毛馬の生まれだった
ここは野鳥の宝庫でもある
オオバン
バン
ここへ来るとバードウオッチングが十二分に楽しめる
0 件のコメント:
コメントを投稿